ご挨拶
こんにちは。オフィス・セイケ代表の清家正亀(せいけまさき)です。
私の出身地は愛媛県宇和島市吉田町の喜佐方という柑橘産業の盛んな場所で、地元出身の偉人に山下亀三郎氏がおられます。山下氏は地元を出てビジネスを起こし、山下汽船をもって世界と日本をつなぎ、日本の発展を促した方です。地元には山下氏が寄贈されたトンネルや学校などがありますが、私が通った宇和島市立喜佐方小学校にもかつて「山下講堂」がありました。モダンなモルタルレンガ造りの講堂の中で、体育の授業や音楽発表会などに使われていたことを覚えています。偶然にも名前に同じ「亀」の文字を持つためか、私は小さな頃から山下氏に不思議な親近感を持っていました。
彼の生き方への憧れからか、私は80年代に渡米しました。英語はどちらかと言うと苦手で、渡米直後はほとんど話せませんでした。しかし現地での仕事や大学生活、そしてホストファミリーをはじめとした多くの方から英語を通じて職業観・人生観を学ぶことができたことは一番の収穫でした。帰国後、英語文化の奥深さに魅了された私は、英語教育や海外留学プログラムの運営、ラジオパーソナリティなどメディアでの仕事に関わりました。まだ当時は米国の友人とは航空書簡(!)で連絡を取っていた頃で、地方に住みながら英語を活かす仕事とはほとんど皆無。90年代後半からパソコンやインターネットが普及しましたが、まだまだ地方発信で世界を舞台に仕事をするには社会インフラが整うのを待つ必要がありましたが、今や私たちのポケットの中には、今ではほとんど誰もがポケットの中に小さな魔法のガラス板を持ち、簡単に世界とつながってるようになりました。しかし、その魔法のガラス板の本来の力は、必ずしも活かされているとは言えないのではないかと思います。
「外の智恵を取り込み、内なる智恵を磨け」
これは、前述の山下氏の言葉です。100年以上も前の20世紀初頭、山下亀三郎氏の汽船が世界から日本に運んだのは資源でしたが、それ以外にも大切なものを日本にもたらしています。それがこの国が大切にしてきた「らしさ」だと思います。文明の大きな転換期だった明治時代。当時のほとんどの日本人が予想できなかった各種産業の智恵は、世界からやってきました。そして、先達たちはその智恵をただ鵜呑みにせず、そこから学び、「日本らしさ」に練り上げてきたのが今の日本社会であり、地域であり、私たちが住むそれぞれの街角の風景です。
外の智恵を生かしながら、どのように内なる智恵を磨けば良いのか。100年以上たっても、問われていること変わらないのではないでしょうか?
オフィス・セイケは、外の智恵に出会い、次の「らしさ」へと変身できる場所となれることを願い活動しています。
愛媛県宇和島市出身。松山市在住。
- オフィス・セイケ代表
- シーエス・トイズ・インターナショナル代表
- 愛媛県国際農業者交流協議会理事
- 愛媛県立農業大学校 英語講師
- FMがいやラジオパーソナリティ
- 実家は元柑橘農家(明治・大正時代は養蚕及び染物屋)
- 特定非営利活動法人宇和島NPOセンター正会員
- 詳細なプロフィールはこちらからダウンロードできます。